10/12/2012

竜馬がゆくを読んで



19の頃はじめてよんだ司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」。7巻まで一気に読み上げて、最終巻の8巻が買えずにずっといた。竜馬とひきかえにこんなところまで恐がりな自分。あの頃は物語の中の竜馬に死んでほしくなかった。

30になった今年の夏再び読み直している。先月最終巻を日本で購入し、ついに読み終えた。司馬さんの、竜馬へのおもいが8巻後半一行ごとに感じる。まるで指揮を終えた指揮者が、興奮冷めやらぬ拍手喝采の中、これまでの足取りを突風に吹かれて回想しているような感無量の高揚感が言葉から伝わってくる。そして竜馬は天へ舞い上がった。最後まで竜馬らしい。風来坊。本当にかっこいい人。世界一かっこいい人。

読み終えると、私は純粋な悲しみと、澄み渡る気持ちと、またすぐに物語の始まりに戻りたい気持ちが交錯していた。竜馬という奇跡なる人物の、暗殺という形での死を145年という長いようで短い時を超えて悔やむ気持ち、彼の独創的な思想と人間性、行動力への数ある敬意の念。中岡慎太郎が語った最後の竜馬にまぶたが熱くなった。

大政奉還、無血開城にむけて日本が舵をきり、新政府作りに向けて竜馬は死の直前に三岡八郎と松平春嶽を訪ねてにいざ福井へ歩いた。財政、経済に才のある三岡を牢獄からひっぱりだして、見張り組もひっくるめて熱く語った新しい日本構造。最後まで燃え盛る魂。



それにしても司馬さんの本は不思議だ。通常、小説に魅き込まれるとひとたびそこは自分と登場人物の二人称。でも司馬さんの小説は自分と主人公と司馬さんという3人称の世界。司馬さんの絶対的な登場人物への愛は小説という器用なスタイルを破って迫真的に読者に迫ってくる。司馬さんと目配せしながら共に大好きな竜馬を追う。二人三脚で物語をゆく。「竜馬をゆく」を読み終えた私の目の前には、物語を書き終えてさまざまな焦燥にかられる司馬さんの熱い背中が見えた。

今の日本、そして日本人が再びこの幕末期から学ばなければならないことは多い。私利欲には一切目をくらますこと無く、志を持って国のために奔走した風雲児たち。現代に生きる私たちからしたら犠牲奉仕的ともいえるその行動はとても不可解に見えてしまうほどに、世の中は変わってしまった。しかし、豊かで美しい日本を子供たちに残したいという想いは今の私たちにも当然として心のど真ん中にある。それは変わらない。そしてそのために今個々が立ち上がらなくてならない。竜馬の言っていたように、それらはさまざまな方面から、つねに独創的であるべきだ。

どこどこの藩士、でなく俺たちは日本人である。といっていた竜馬。今の時代に例えると、”日本人”でなく、”地球人”なのではないか。地球ごとに物事を考えていかないと、世界は救えない。国境、人種という概念に囚われていては大事も為せない。地球ごとに物事を考え、そして足下から行動してゆく。そんなアクションがこれから人間社会においての課題なのではないか。雑然としたメモとして今ここに記す。


むむ。

もうすでにまた読みたくなってきた。また竜馬に会いたくなった。




こまりも。。。ゆくぜよ。











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